2001年7月9日(月) 遍路13日目
足摺岬[あしずりみさき]へ
 
 朝早く起きて出発。水道、便所が有るのは本当に便利だ。こういう場所は最高。

 双海分岐で道に迷う。地図もなんだが怪しい。そのため、コンパス(方位磁針)を初めて使う。折角持って来たのだから使ってみよう。使ってみたが道が分かるわけでもなく、なんとなくこちらだろうと道を進む。西に向かって四万十川大橋を目指す。何とも不安だが土手が遠くに見えた。間違っていなかった。歩きで間違えるとかなりへこむ。土手に登ると東屋が有り、野宿には良さそうだ。橋を渡りながら四万十川を眺める。綺麗とは思わない。大きな川だ。

 第38番札所金剛福寺[こんごうふくじ]周辺に宿を取ろう。風呂に入りたい。幸い観光地らしく沢山宿があるようだ。看板で国民宿舎足摺テルメが有るので電話で予約する。高い。料金が高いので素泊まりにした。それでも8550円。迷ったが宿を探すのも面倒だった。さらに野宿も不安だ。寝る場所があるかどうか分からない。参考書は古いので余り当てにしていない。

 砂浜を歩く。トレーニングで砂浜を走ると聞いたことがある。砂浜は歩くのが辛い。その後、舗装された道で歩き遍路男性と挨拶する。荷物をほとんど持っていないところを見ると宿に置いてきたのだろうか。ここは打戻をしたほうが次の札所への距離が短くなる。コースの選択があって面白い。僕はこの先どうしようか考えながら歩く。

 足摺岬手前3kmくらいの所でバイク遍路と出会う。向かいから来て僕は遍路だと気付かなかった。すぐにUターンして話し掛けてきた。白衣を着ているの分かる。僕にはバイクが障害物でしか認識できていなかったようだ。大阪から来た27歳くらいの男性遍路。以前、歩いて回ったが今回はバイクで番外を含めて回っているという。荷物も多いので野宿かどうか聞いたら野宿だった。バイクはオフロード用、タンクが黄色だった。車種は不明。そこまで見る心の余裕が無かった。15分ほど話す。瀬戸内海側は治安が悪いとか松尾大師はヤバイ(働かされる?)などを聞く。

 18時40分くらいに足摺岬到着。立派なトイレがあり、そこにベンチと屋根もある。これを知っていたら野宿したのに残念だ。後悔しつつそこを眺めていたら(岬から海は見ていない)裏から若い野宿の人が現れた。ベンチに座り今日の宿泊所にしようとしているようだ。僕から話し掛けたらこの人は高一くんだった。高一くんとは僕が後で付けた勝手な名前。彼は鳥取から自転車で来て四国を回っているそうだ。納経のお金が無いからお参りだけしているそうだ。しまなみ街道から来て、時計回りで1週間目と言っていた。ずいぶん早い。聞かなかったが札所に全部回っている訳では無さそうだ。名前の由来、彼は高校1年生だった。「好きなことやりたいから」という理由で回っているだそうだ。学校は?と聞きたかったが野暮なことは聞かなかった。数週間後には夏休みなのに何故と思うが僕だってそうなのだ。きっと数十年後には定年で四国を回ることだって出来るのだ。彼と話していて僕がいかに楽をしていると勝手に感じた。人々の願い、自分の願いを届けるべく僕は、回っている。楽しいに決まっている。楽しいだけでなく何か苦労しなければならないと思っていた。勝手に明日から野宿しようと心に決める。高一くんに別れを告げて国民宿舎へ向かう。

 最悪。歩き遍路は足摺テルメに泊まるべからず。山の上にあり金剛福寺から20分はたっぷりかかる。金剛福寺の隣にはユースホステルが有るし、民宿やホテルが近くに沢山ある。一番不便なところに国民宿舎が有った。看板が見えて到着したと思ったらさらに数百m登って周らなくては入り口にたどり着かない。宿に入ったら洗濯機は無いし不便この上ない。しかし、最近建てられたらしく建物は豪華で綺麗で風呂や食事の設備は最高。部屋も良い。車の人なら気にならない距離だろう。

 洋室しか空いてなかったのでベットで寝る。頭の中に小田和正かオフコースの歌のフレーズが流れてきた。「白いシーツの海で〜」、高一くんはベンチで寝る、僕はベットで寝る、この違いは何だろうと思う。お金か?気持ちか?その他か?自分が情けないと思う。

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