2001年7月8日(日) 遍路12日目
進むべきか
 
 5時前くらいに起床。おじいさんも起きているようだ。荷物の片付けをしているとおじいさんがこちらにやって来た。おじいさんと話す。おじいさんは帰る所が無いそうだ。奇しくも昨日想像した通りの人だった。そのため、四国を回り続けるしかないそうだ。2年以上経ち、今は15回目だ言う。「200円くれ」と言うのであげた。そういったかつあげ(募金等)には屈しないのだが哀れであったので迷わずあげてしまった。悲しい思いで一杯になる。おじいさんの方が準備が先に出発した。僕も20分ほど遅れて出発。
おじいさんの台車えらくいいかげんな絵
 平串橋手前、数百mのところに道の駅「あぐり窪川」があった。おじいさんを抜かし先に行く。

 第37番札所岩本寺[いわもとじ]に8時に到着。ここはユースホステルをやっているようだ。休んでいるとお寺の真横を電車が突っ走って行った。なんて所に線路があるのだろう。そうこうしていると朝のおじいさんが追いついてきたが挨拶をして僕は先に進む。さようなら。

 窪川町[くぼかわまち]と佐賀町[さがまち]に境は山道を行く。足元が悪かったが無時に通り抜ける。トンネルの上を行くのは妙な気持ちだ

 JR伊与喜駅[いよきえき]先は山道を行く。熊井トンネルが有り是非とも通ってもらいたい。車も無く人も全然居なかった。トンネルは煉瓦造り。ひんやりとして、足音が響く。前にも後ろにも人が居ない。長さは80m。トンネルから出ると、夏の暑さ、虫が鳴き、草木の臭いがする。オプションとして、向かいからきた小学生が挨拶してくれた。もちろん僕も挨拶する。

 土佐西南大規模公園の屋台でソフトクリームを買おうとしたらお接待で頂いてしまった。商品を頂くと非常にやり場の無い感情が沸いてくる。

 ここの公園はとてつもなく広く、東屋が有る。水、トイレも有る。野宿出来そうだ。時間が14時30分くらいなので進まねばならない。

 JR土佐入野駅[とさいりのえき]で野宿する。まだ明るいので駅の中に入らずに外のベンチで休む。ここに来る手前にスーパーがあったのでそこで夕飯と明日の朝食を買っておいた。なぜだか牛乳が飲みたくなったので買った。ベンチでぼそぼそと食べる。外に水道が有るので歯磨きをする。やる事も無くなりベンチでボーっと座る。

 終電はまだだが暗くなったので待合室に入る。待合室は広い。喫茶店のようなお店も中にあるが今日は営業していないようだ。待合室で座って休んでいたが電車が来なくなったので寝袋を出して転がる。待合室は暗くなっているが日記を書く。

 順調なペースで歩いているが、心はちっとも晴れない。不安を拭えないでいる。本当の自分は四国を回りたくないんじゃないか、帰ってボケーっと生きたいだけなんじゃないか。回ってなんになるんだ・・・。しかし、今は中断したとしてもいつか回らなくてはならない。お接待していただいた方々、挨拶を交わした方々、クラクションを邪険に鳴らした方、無視した方、全ての思いを背負って歩いているのだ。その思いに答えるためにも回らなくてはならない。人それぞれ形は違っても回り続けている。この輪を壊すことは出来ない。回り終えたとき、僕は何を感じるのか。

 とめどもないことを書いて寝る。

 夜中0時くらいに3人待合室に来た。雰囲気から高校生だろう。待合室に僕が寝て居るのを見て「遍路がいるよ・・・」と言うのが聞こえた。僕は正直怖かった。寝ているふりをする。脅されて金取られるかと思ったが、3人はホームへ行ったようだ。こんな夜中に駅に何しに来たのだろうか。危害を加えてこなそうなので寝る。3人が出て行くのは気が付かなかった。

7月7日遍路11日目へ  7月9日遍路13日目へ
 
四国へ行こうindexへ


SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ 掲示板 ブログ