準備2
 
 家族に打ち明けた。しかし、歩いて四国を回るとは言わなかった。それと、一週間くらい行って来ると言った。行ってしまってから葉書か電話で30日間行くと伝えるつもりだ。宿は適当に泊まると言った。すべて野宿で通すつもりなので嘘である。嘘も方便と言う言葉がある。
 
高速バス
 高速バスは電話で予約した。チケットは前日までに買わないといけないのだが買う場所が分からないので今日は買えなかった。当日の12時までに買えば大丈夫とのことなので明日買う。旅行会社には本当に申し訳無いことをした。私の旅はいいかげんだ。それと、降りる場所は鳴門撫養ではなく徳島駅で降りて1番霊場に近い駅まで電車で行く事にした。なぜなら、そのほうが早そうだからだ。電話で鳴門撫養とはどこか聞いたら競艇場の近くだそうだ(かなりいいかげんな表現だが、地図があればこれで分かると思う)。だったら、徳島駅まで行ったほうが良いと判断した。
 
装備について
 合羽は買った(上だけのやつ)。これでは、足がぬれてしまうが気にしないことにした。カメラは使い捨てにした。撮り終わったら分解してフィルムだけに出来る。コンパクトカメラを買おうと考えたが選ぶ余裕が無いのでやめた。細かいことは帰ってからホームページにまとめようと思う。メモは残しておいたので書けなくなることは無い。
 
社会復帰について
 社会復帰しなくてはならないから実社会とつながりを持っておきたいがあきらめた。修行にならないと考えた。しかし、何が有るかわからないのでPHSは持っていく。つながりそうでつながらないのがよさそうだ。そうそう、自分の部屋は片していく。ついでにPCの中身をバックアップしてデータは消してしまうことにする。やましいことはあまりないが、プライベートなことは山ほど有る。メールとかは見られたくない。
 
後は
 くじけるかどうかわからない。30日は譲れなくした。教習所の予約を入れた。必ず、四国を一周して帰ってくるぞ。それでは、行って来ます。
 
2001年6月25日(月)ノートより
 ホームページにはかっこいいことを書いた。
 こうしてボールペンでノートに文字を書いていると働いていたころを思い出す。やることが分からないし、無いので気が付いたこと見たことを全てノートに書いた。ノートに書いたことも書いた。それほどやることが無かった。世の中はこうして流れているのかと思ったがそうではないとずっと考えていた。だから辞めた。
 次に働く気力が沸いてこない。多分怖いのだ。また、同じことになるのではないか?自分に働く能力があるのか?そういったことが不安でしかない。そのストレスを発散させるために運動をした。だから、体重が減ったのだと思う。
 野宿のこと、お金のこと、これからのこと全て見えない。
 教習所で同じだったI君。彼は、福祉の大学に通っているのだと言う。ボランティアで介護のこと、知的障害者のことをうれしそうに話してくれた。「楽しいんですよ」この言葉がすばらしい。自分の中で忘れていたものだ。心底羨ましかった。
 僕は四国で何を見てくるのか。

四国へ行こうindexへ


SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ 掲示板 ブログ